双羽黒(北尾光司)の現在は?横綱廃業や立浪部屋復帰の波乱万丈人生!

双羽黒(北尾光司)の現在は?横綱廃業や立浪部屋復帰の波乱万丈人生!

こんにちは!ぷかりすです。ようこそ!

とうとう横綱 日馬富士関が引退を発表しましたね~。ありゃまー・・・って感じです。

それにしても、日本はこんなにも相撲好きで溢れているのかい?と不思議に思うほどテレビで報道しまくってますが、ヤイヤイ言わず警察に任せておけばいいのにと思うのはわたくしだけでしょうか?

横綱引退という道を選ばざるを得なかった日馬富士関の無念は想像できますが、理由はどうであれリモコンや素手でメッタ打ちにしちゃいかんぞよ。暴行傷害事件で立件されても当然ぞよ。と思うのはわたくしが相撲界の人間ではないからかしら?

相撲界の闇を感じながら過去にも同様の角界スキャンダルがあったのかいな・・と調べていたら!

なんとも波乱万丈な人生を歩んだ横綱 双羽黒(ふたはぐろ)関に遭遇いたしました。

昭和の名横綱、千代の富士から金星を勝ち取るほどの実力を持っていながらちゃんこがまずいと部屋を脱走し力士を廃業したという珍話を残した双羽黒関の人生に釘付けでございます。

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双羽黒(ふたはぐろ)とは?

双羽黒(北尾光司)の現在は?横綱廃業や立浪部屋復帰の波乱万丈人生!

1979年~1988年の約10年間力士として土俵に立ち、1986年には22歳11ヶ月、幕内での優勝経験がない中で異例の猛スピードで第60代横綱に昇進しています。

1986年当時の相撲界は千代の富士関の一人横綱状態が続いていたため、それを解消するために幕内優勝経験はないものの素質は十分と認められ横綱昇進が決定したようです。

約2メートル(199cm)の身長と160キロの体重という恵まれた体格に、幼少期から柔道に相撲にと鍛え上げた才能は、実績などなくても横綱昇進を決める決定打となったのでしょう。

ただ、この横綱昇進は横綱審議委員会の満場一致ではなく多数決で可決し、委員の中には「経験不足と若さゆえの精神面の甘さ」を指摘し最後まで反対した方もいたとか。

こうして角界やプロレス界で騒動を起こすことになる横綱 双羽黒関が誕生したわけですが、引退して数年後のインタビューで以下のように双羽黒関 本人が語っています。

修行途中で、精神的な部分がまだ未熟な人間に贅沢をさせたり、わがままを聞いたりすると、こういうことになってしまう。(中略)私自身の心の未熟さだったと思っています。引用元:Wikipedia

結果論になってしまいますが、実績がなく若さを危惧して反対した委員の方の判断が正しかったということでしょうね~。

優勝経験を積み精神面でも大きく成長を遂げた双羽黒関が横綱になっていれば、千代の富士とならぶ昭和の大横綱と呼ばれていたかもしれません。

そんな双羽黒関の角界での軌跡を年表風にまとめてみます。

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 双羽黒関の相撲界の歴史
 1963年

1963年8月12日、三重県津市に生まれる。幼少期に柔道を始め、小学校に土俵が完成してからは相撲に没頭し地元の相撲大会で優勝する。

 1976年

中学校卒業と同時に立浪部屋に入門

 1979年

北尾関(北尾光司)で初土俵、5月場所で序の口優勝

 1984年

7月場所で十両優勝、9月場所で幕内昇進

 1986年

9月場所で横綱昇進

 1988年

初場所で引退

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素人目には、とんとん拍子の相撲人生を歩んできたように見えます。入門後3年で初土俵を踏み同じ年に優勝するってモンスター級の凄さでは?

実際、角界の著名人たちは相当な期待を抱いていたようで、横綱昇進と同時に「双羽黒」に改名したのも「立浪部屋出身の名横綱 双葉山と羽黒山から名をとれば、史上最強の力士が誕生するかもしれん」という当時の理事長の熱い推薦があったからだそうな。

相撲界の頂点に君臨するお人から命名されるほどの期待されようは、逆に若き横綱の慢心を引き出してしまった様子。

ある日は弟弟子が勝手にゲームをやったとかなんとかで殴り、ある日は付き人をエアガンで狙撃し、親方や女将さんに厳重注意を食らうこと数回。引用元:Wikipedia

とうとう「ちゃんこがまずい」という理由で親方と言い争いになり止める女将さんを突き飛ばし部屋を脱走、この件がきっかけとなり立浪部屋を破門となったとか。

当時のニュースでは横綱が失踪したってもんで、大々的に取り上げています。

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引退して数年後のインタビューでご本人は以下のように仰られております。

「これまでのことなども含めて、師匠と意見が対立してしまい、お互いに歩み寄れればよかったんですが、中々そういう訳にもいかなかった。私は、部屋の個室とは別に自分で別にマンションを借りていたので、自分のマンションで冷静さを取り戻そうと思っていました。しばらく頭を冷やしたら、また師匠と話をするつもりでいたのです。ところがその最中に当時、師匠の女将さんが、マスコミ各社に片っ端から電話をしたことにより、事態は最悪に次ぐ最悪になってしまった。師匠と私は『廃業』などいう選択をするつもりは、毛頭なかったんですよ」引用元:Wikipedia

あ、ちゃんこが原因じゃなかったのねw

破天荒というか、お子様というか、当時の双羽黒関は相撲界が掲げる横綱の理念からは程遠いお人柄だったようです。

まだ20代前半だし、小さい頃から最強と言われてきた彼にとって、畏怖すべき存在はなにもなかったのかもしれません。

横綱に昇進して約2年で相撲界を引退することになってしまった双羽黒関を惜しんだ千代の富士関は、後のインタビューで以下のようにコメントしています。

「もし(双羽黒が)廃業していなかったら、自分は横綱の地位にこれだけ長く留まれていたのかは分からない。又その後の53連勝を初め、通算1000勝や優勝31回も達成出来なかったかも知れない。それだけにあの廃業事件は、自身にとっても本当に残念な出来事だった」引用元:Wikipedia

千代の富士関にここまで言わしめるとは、双羽黒関が横綱に昇進するタイミングが違えば、本当に「史上最強の横綱」が生れていたかもしれませんね。

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双羽黒(ふたはぐろ)の引退後の職業は?

双羽黒関は引退後、「北尾光司」に戻りプロレスラーとして活動します。

が、すぐにプロレスラー転向したわけではなく、最初の職業は「スポーツ冒険家」なるもの。

とあるWeb辞書で「スポーツ冒険家とは?」と検索した結果、意味は「北尾光司」と記載されているくらいなので、この肩書を名乗っているのは世界中で彼だけなんでしょう。

「スポーツ冒険家」という肩書でアスレチック施設の紹介やトレーニングジムで筋トレをしていた様子ですが、その全貌は謎のままです。

「スポーツ冒険家」としての活動は2年ほどで終焉を迎え、プロレスラーとして新日本プロレスのリングからデビュー。

このときもまだ20代という若さの北尾さん、傍若無人な言動や技を受けないというプロレスラーにあるまじき戦術で、プロレスファンからもプロレスラーからも煙たがられていたとか。

そんな中、試合中に腰を負傷し怪我を理由に練習に参加しなくなった北尾さんを、当時の新日本プロレスの現場責任者を務めていた長州力さんが「どのプロレスラーも怪我を抱えて練習している。練習に参加しないやつや試合に出さない」と諫めたところ、北尾さんは人種差別発言を繰り出し、新日本プロレスを一発退場となります。

その後、大相撲の先輩である天龍源一郎さんのつてでプロレス団体SWSに参戦するも、レスラーではなくレフェリーにローキックを浴びせ反則負けをくらうという珍事発生。

北尾さんはこの試合でリング下のマイクを奪い「八百長野郎!八百長ばっかりやりやがって!お前ら、こんなもの(八百長試合)見て面白いのか!」と対戦相手や客席をディスり、この言動がきっかけでSWSも解雇となります。

素人のわたくしでも、もうプロレス界での活動は無理ではないかと思える言動の数々ですが、プロレスの神は北尾さんを見放さなかったようで、1992年にプロレス団体UWFインターナショナルでマット復帰が許されます。

数年の潜伏期間を経た北尾さんは礼節をわきまえた人物に成長を遂げ、試合前にはリング四方に頭を下げ、試合後には倒れている対戦相手に一礼するという、まるで武士のような振る舞いでプロレス界から信頼を得ていきます。

1994年に格闘技塾「北尾道場」を立ち上げ、プロレス団体WARを主戦場に活動し、ファンからも声援を送られるレスラーとなりました。

その後、1998年には「やりたいことをやりおえた」という理由でレスラーを引退します。

そして2003年、破門となった立浪部屋にアドバイザーとして復帰します。

女将さん突き飛ばし事件で破門となった部屋に復帰できるとは、親方の懐は海か?と思いきや、もうすでに親方は代変わりしていました。

若手力士へのアドバイスや新力士のスカウトなどアドバイザーとしての役割を着実にこなし、人として成長したと周囲から評価されていた様子。轟く悪名を払拭できて本当によかったですよね。

双羽黒(北尾光司)は今何をしている?

残念ながら、2017年現在、北尾光司さんが何をされているのかは情報を見つけることができませんでした。

今も立浪部屋のアドバイザーをしていらっしゃるのかもしれませんが、立浪部屋のWebには該当するような情報はどこにもなく。

表立った活動もしていらっしゃらないようなので、過去の騒動や事件が風化し、世間から忘れ去られることを望んでいるかもしれないですね。

双羽黒(北尾光司)の最後の一番は千代の富士

なんと、最後の一番の動画を見る事ができましたっ!2分45秒あたりから取り組みが始まります。

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満員御礼の国技館、高鳴る声援、この土俵にたてば心躍ること間違いなし!ですよねー

見事な体格の双羽黒関ですが、ウルフには一歩及ばず!なんせ優勝22回目のベテランでございます。

この一番が最後だとは、まさに惜しまれる人材ですよね・・・。

まとめ

  • 双羽黒(北尾光司)は経験不足で横綱になり若さゆえに暴走し立浪部屋を破門となった
  • 双羽黒(北尾光司)はプロレス界でも傍若無人は振る舞いで悪名をはせた
  • 双羽黒(北尾光司)は2つのプロレス団体を解雇されたものの、人間的に成長しプロレス界で認められる存在になった
  • 双羽黒(北尾光司)は2003年に立浪部屋にアドバイザーとして復帰した
  • 双羽黒(北尾光司)が2017年現在、どのような活動をしているか情報は見つからなかった

ということでまとめさせていただきました!

 

北尾光司さんには、このページでは書ききれない逸話がたくさんありました。

若きゆえの言動の数々を経て、最終的には「人として成長した」と周囲から認められた彼は、2017年の今、素晴らしい指導者になっているのでは?

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