秦光秀(三四六)のものまね動画や妻や息子も!相撲や柔道の才能も凄かった!┃消えた天才

秦光秀(松山三四六)

こんにちは!ぷかりすです。ようこそ!

「お正月は食っちゃ寝一筋」の私、三が日最終日の本日もポリシーを貫き通す所存でございます。

食っちゃ寝のお供と言えば、テレビ。

朝から深夜まで興味深い番組の数々を打ち出されると、視聴者魂が騒ぐってもんです。

本日1/3の注目番組は、午後6時~9時放送のTBS「消えた天才 ~一流アスリートが勝てなかった人大追跡SP~」ですね!

過去に天才の名をほしいままにしたアスリートの今を伝える番組です。

番組欄に名を連ねる、各種スポーツを代表するアスリートはこちらの方々。

福原愛さん(卓球)、江川卓さん(野球)、野村克也さん(野球)、高橋大輔さん(フィギュアスケート)、水谷隼さん(卓球)、桐生祥秀さん(陸上)、花田虎上(元横綱 若乃花)さん、吉田秀彦さん(柔道)、岩崎恭子さん(水泳)

なんか字面だけで圧倒されてしまいますがな。

こんなトップレベルのアスリート達に「勝てないとおもった」と言わしめた人物って、いったいどんな方々なんでしょうか。

今回は、相撲の花田虎上(元横綱 若乃花)さん、柔道の吉田秀彦さんが口をそろえて「めちゃくちゃ強いかった」と賞賛した秦光秀さんにロックオンしますよっ

スポンサードリンク

秦光秀(松山三四六)のプロフィール

    • 本名:秦光秀
    • 読み方:はたみつひで
    • 芸名:三四六(さんしろう)
    • 生年月日:1970年7月9日
    • 出身:東京都
    • 中学:明治大学付属中野中学校(柔道部)
    • 高校:明治大学付属中野高等学校(柔道部)
    • 大学:明治大学法学部卒業
    • 身長:167センチ
    • 職業:歌手、タレント、長野大学社会福祉学部客員教授

━━━━━━━━━━━━━━━

2018年1月現在、年齢は47歳です。

お写真ではお若く見える上に、イケメンでございますねぇ!

花田虎上さんや吉田秀彦さんが「強い」と認める人物だもの、柔道界にまつわるお仕事をしていると思いきや、本業はミュージシャンだとか!!

ルックスも、「相撲」「柔道」より「ミュージシャン」がしっくりきますね。

芸能界デビューのきっかけは、今から約24年前の1994年までさかのぼります。

明治大学在学中に日本テレビの「史上最強ものまねバトル大賞」に出演、見事優勝を果たし芸能界デビュー!

優勝した年に「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務め、1998年にはTOKYO FMの「エモーショナルビート」のパーソナリティに抜擢され、人気番組に押し上げブレイクを果たしています。

デビュー当時はものまね番組にひっぱりだこの「本格派ものまね芸人」として吉本興業に在籍していたとか。

しかし、1994年に吉本興業退社し、渡米します。

帰国後は芸能プロダクション「JVCエンタテインメント」に所属し、タレント、ラジオのパーソナリティ、歌手として活動を開始しました。

ちなみに、芸名の「松山三四六(さんしろう)」の由来は、柔道の「姿三四郎」だそうです。

「姿三四郎」とは、明治時代を舞台にした実在の柔術家や政治家をモデルにした、人間模様や柔道、歴史的事件を描いた長編小説です。

多数の映画や小説、漫画の原作となっていることで有名な作品であり、主人公の「姿三四郎」が小柄ながらにも大きな選手をバッタバッタと次々に倒したことから、現在の柔道界でも小柄で強い選手を「三四郎」と言うニックネームで呼ぶことがあります。

「松山」はかの有名な松山千春さんから、ものまねの腕前を認められ使用を許されたそうですよ。

現在は、長野県を中心に歌手やラジオパーソナリティとして活動しており、楽曲のリリースやライブ活動を精力的に行っていらっしゃいます。

元々はオリンピックを目指すほどのアスリートが「本格派ものまね歌手」に転身し、さらに自身の楽曲をリリースする「ミュージシャン」に転身していたとは、華麗すぎやしませんか!

「天は二物を与えず」とかいう一般社会のしきたりは天才には通じず…。

お次は「天才の歌声」に迫ってみようではありませんか。

スポンサードリンク

秦光秀(松山三四六)の歌声

まずは、若かりし頃の「本格ものまね芸人」時代に迫ってみます。

見事な「奇跡の地球(桑田佳祐×桜井和寿)」の一人二役をご堪能ください。※7分50秒あたりに三四六さんが登場します。

歌うまっ!!

桑田佳祐さんとミスチル桜井さんの声って、対極の声色に感じますが、見事お二人の声を完コピしていらっしゃいます。

この素晴らしいものまねスキルがあれば、ものまね番組にレギュラー出演するのも納得でございます。

約24年前、ものまね番組の審査委員長を務めていた作曲家平尾昌晃先生は、三四六さんの歌声を聞いて「三四六くんは、歌が抜群にうまいから真剣に歌をやった方がいいよ。」とアドバイスしてくれたとか。

現在はミュージシャンとして活動しているので、その言葉は現実となったわけですよねー

作曲家が聴いても「本物」と感じる歌声が奏でるオリジナルソング、これまた美しい音色が心に沁みます…。

暖かくて厚みがあって角のない、気持ちのいい歌声ですよねー

この声で「ふるさと」とか歌われたら泣いてしまうやもしれん。

秦光秀(松山三四六)の家族

秦光秀さんは1998年にご結婚されています。

そのお相手とは…

網浜直子さん!!

えーっ!そうだったのーっ!

と驚いたアラフォーは私だけではないはず。

1980年代~90年代、一世を風靡したアイドルと言っても過言ではないでしょう。

飯島直子さんとのユニット「W-NAO」でもブレイクしましたよねー

ものまね番組で秦光秀さんと出会い、1998年にめでたくゴールイン!

現在は二人の息子さんがいるそうですよ。

そっか~、アミーは2児のママだったのかぁ…

息子さん二人は、お父さんの後を追って柔道に邁進しているようですね。

長男は高校生、次男は中学生だとか。

現在の実力について、成績など探してみましたが、残念ながら見つけられず…。

突如、彗星のように現れて東京オリンピックに出場したりして?

秦光秀(松山三四六)は相撲や柔道の天才だった

冒頭でも書きましたが、現在ミュージシャンとして活動している秦光秀さんは、若かりし頃はオリンピック出場間違いなしと言われた逸材だったのです。

オフィシャルサイトのプロフィール情報では柔道の経歴について、以下のように掲載されています。

小学生5・6年生の時、全国少年柔道大会優勝。中学生の時も全国中学校柔道大会で優勝を果たし、柔道選手として将来を有望視され、 オリンピック金メダルを目指し、明大中野高校・明治大学でも柔道選手として活躍。度重なる怪我により20歳の時柔道競技の道を断念。

柔道のことしか書かれていませんが、小学生時代は相撲にも取り組んでいます。

1/3放送のTBS「消えた天才」では以下のように語られています。

花田は「わんぱく相撲を始めてからの目標」と秦を評する。わずか3秒、突っ張り3発で秦に敗れ、けた違いの強さを目の当たりにした。「彼はいつも優勝。負けというものを知らないのでは」と振り返る。その言葉の通り、秦は小学4年から6年にかけて、相撲の全国大会3連覇。まさに無敵だった。そして2人はともに明大中野中学に進学。しかし、秦は相撲部には入らず柔道部に入部した。

相撲でも柔道でも無敵。

まさに最強だったわけです。

しかし運命は残酷なもので、高校・大学時代は度重なる怪我に泣き、20歳で柔道競技を断念します。

「たられば」は存在しないとわかっていても、「秦光秀選手が怪我もなく現役継続できていたら」とどうしても想像してしまいますよね。

現在は柔道コーチとして子供たちに柔道を教えているという秦光秀さん。

教え子からオリンピック金メダリストが登場し、秦光秀さんが輝くはずだった舞台に立ってほしいものです。

まとめ

  • 秦光秀(松山三四六)さんは、小学校時代に相撲でも柔道でも頂点にいた
  • 秦光秀(松山三四六)さんは、高校以降、怪我に悩まされ、20歳で柔道引退を決めた
  • 秦光秀(松山三四六)さんは、1992年に本格派ものまね芸人として芸能界デビューした
  • 秦光秀(松山三四六)さんは、1998年にタレントの網浜直子さんと結婚し、2男をもうけている
  • 秦光秀(松山三四六)さんの息子は、二人とも柔道に打ち込んでいる
  • 秦光秀(松山三四六)さんは、歌手として活動しながら、柔道コーチとしても子供たちを育成している

ということでまとめさせていただきました!

幼少期からアスリートとして頂点を極め、熟成期の20歳で無念の柔道引退。

その後はものまねタレントに転身し、さらにミュージシャンとして再転身。

お一人分の人生とは思えぬほどの激動っぷりですよね…

転身後も新しい舞台で輝き続けるとは、なんたるパワーの持ち主でしょうか。

素敵なオリジナルソングが全国区で響き渡ることを期待しながら、「消えた天才」を鑑賞してみましょ。

>>その他の「消えた天才」記事

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です